はじめに:
ポジティブ思考vsネガティブ思考。
根拠のないポジティブ思考や
自己啓発に意味はなく、
ネガティブ思考をスキルとして学べば、
ネガティブ思考が怖くなくなります。
ネガティブ思考は、
その人の性格や性質、癖
のようなモノではなく、
あくまで「スキル」なのだ。
と知れば、
そのスキルを使うか使わないか
は自分で判断できます。
本書の著者はジャーナリストですが、
出版社の中では
18日の法則
なるものがあると言います。
自己啓発書を買った人物は、
18日経つと、
また新たな自己啓発書を本屋へ買いに来る。
というものです。
自己啓発書を読んで、
ポジティブ思考を試しても
自分の問題を解決するには
至らなかったのでしょう。
新しい本、別のやり方を探しても、
世に出回るポジティブ思考では、
問題を解決することはできないばかりか、
心配事は「増幅」していきます。
生きることにこだわればこだわるほど、
死ぬことの恐ろしさが増幅する。
というのです。
ではどうすればいいのか?
ネガティブ思考の中には、
どんなヒントが隠れているのでしょうか?
学んだことをアウトプットします。
学んだこと:
最悪だ!でもそこまで悪くない
「それが大事」という曲があります。
曲中では
「そこにあなたがいないのが寂しいのじゃなくて
そこにあたながいないと『思う事』が寂しい」
と歌われている歌詞があります。
本書ではストア哲学の内容が
ふんだんに盛り込まれている訳ですが、
「それが大事」の歌詞が、
その学びを助けてくれます。
好きな人がいない事実は、
私達をどうこうできるものではありません。
好きな人が今、目の前にいない事を
自分でどう捉えるかが、
ネガティブとどう付き合うかの鍵です。
ストア哲学では、
眼の前のネガティブな出来事に対し、
「それに抗うことはやめよ」と説いています。
自分や家族に降り掛かった不幸を
考えないようにしよう。
と考えれば考えるほど、
ネガティブな出来事は、
頭の中を支配してしまいます。
ではどうすればよいのか?
答えは、
一旦それを受け入れること。
であり、
これこそがネガティブ思考を遠ざける手段
だったのです。
不幸を一旦受け入れるとはどういう事か。
例えば、
家族の不幸を例に挙げると、
父親が何か重い病気、糖尿病などを
患ってしまった場合、
父親には何とアドバイスすればよいのでしょう。
病気の事は考えないようにして、
ポジティブに生きていこう。
と説いても、
一旦は心が晴れても、
すぐに今まで以上に気を落とすはずです。
根拠のないポジティブは、
全く現実化しないからです。
同様に、
根拠もない「大丈夫」を繰り返すことも
効果はさほどないでしょう。
父親に伝えるべきは、
「不治の病を患うなんて、
そりゃあつらいよ。
つらくないはずがない。」
と一旦受け入れることを助言します。
その上で、
「それでも一生歩けないわけじゃない」
と希望を見ることが大事なのです。
ストア哲学では、
この不安や恐怖を受け入れること。
を何より強調しており、
不安に真っ向から立ちむかい、
その上で受け入れること以外に、
不安から逃れる術はない。
と説いています。
この事を知れば、
これから先、
ネガティブな事が
自分の身に起こっても、
その思考から逃げなくても済みます。
むしろ、
逃げるほどに不安は大きくなり、
その身に襲ってきます。
もし近い将来不安に駆られた時は、
「そんな事があったのなら
不安になって当然だよ」
と一旦その不安を受け入れてみましょう。
これを本書では「悪事の熟考」と読んでいます。
悪事の熟考を行った上で、
「非常に悪い」と「完全に悪い」
は区別することが肝要です。
悪いものは確かに悪い。
しかし、
それで人生終わりだ
と言うまで完全に悪いということもないでしょう。
自分の命が危ぶまれる。
という時だって、
家族を巻き込んだ事故を起こすよりは
完全に悪いと言うわけでもありません。
悪事の熟考。
是非お試しください。
手に負えなくなったゴール設定の弊害
エベレストで起こった最悪の事故。
死亡者は8名。
この事故の厄介さとは、
その日エベレストに、
「特別な事」はなかった。
と言う点です。
大きな雪崩があったわけでも、
落盤があったわけでもない。
参加者が全員素人という事もない。
いつも通りの山脈において、
その事故は起こった。
これはどういう事なのでしょうか。
本書ではその原因の一部である
「目標」に対する弊害が述べられています。
この事故では、
エベレストの山頂を目の前にして、
引き返す選択をできなかったチームが
遭難することで発生しました。
「生きてエベレストから帰る」。
即ち、
山頂に辿り着いた後、
無事に下山するためには、
タイミングが全てだ。
とプロの登山家は言います。
引き返すタイミングを
逃した登山チームは、
最終的に酸素ボンベの酸素が足りない状態で、
猛吹雪の中、
マイナス40°の山中に取り残され死亡しました。
ではなぜチームは、
引き返す選択をしなかったのでしょうか。
その時は皆、
そのまま進めば「事故に遭う」事が
明確にわかっていたのに。
答えは、章題のとおり、
「目標」にあります。
エベレスト登山には、
人のモチベーションを上げる要素
がいくつも備わっています。
登山家とってエベレストは、
その存在そのものが
「世界一高い山脈」という
これでもかという高尚な目的を
与えてくれます。
その上で、
人々は訓練し、
多額の登山料を支払い、
登山中も苦しい思いを乗り越え、
登頂するのです。
登頂に成功すれば、
自己肯定感という意味でも
その後の人生に
大きなプラス影響をくれるでしょう。
それでも、
先に述べたとおり、
登頂できるかどうかは
タイミング次第
なのがエベレストです。
天候が崩れることは、
そのまま死を意味する事もあり、
そこはやはり、
自然に人は敵わないということです。
がしかし、
目の前にゴールを見据えた状態で、
山頂が目と鼻の先に見える状態で、
今までに支払ったコストを全部無駄にして、
引き返すことが誰にできるでしょうか。
この目標に囚われてしまった結果、
彼らが一番恐れていた、
死を招き入れることが現実になったのです。
著者は本書の中で、
ゴーロディシー
という言葉を使っています。
ゴールという言葉と
オーディシーという言葉を
足した造語です。
一度立てた目標は、
自意識の一部となってしまい、
その目標に固執し、
例えそれが間違っていたとしても、
選んだ選択肢に固着してしまう現象
のことです。
このゴーロディシーは、
登山に限らず、
我々の周りに至るところ存在します。
子供の頃下校時、
何気に道端の小石を蹴りながら帰った
事は誰しもありますが、
そこで変にスイッチが入り、
なんの根拠もないのに、
「この石を家までちゃんと運べたら
好きな子と上手くいく」
などとルールを自分で課して、
石を家まで運ぶことに躍起になってしまった。
なんて経験はありませんか?
まさにこれがゴーロディシーです。
間違った選択肢に固執して、
周りが見えなくなってしまう。
これが社会情勢さなかで行われると、
「失敗して好きな子に逃げられる」
と妄想するだけでは済まなくなります。
時として目標は私達に死を運び入れる
ことすらあるのです。
反面、
目標を立てずに成功をした人や企業方針も
たくさんあります。
正確には、
企業幹部は目標を仮に立てたものの、
それを公表しないまま、
部下に仕事を進めさせたところ、
幹部の予想を遥かに超える結果をもたらした
と言う結果もあるそうです。
目標はある意味「限界」を
設けてしまうことでもあります。
「1週間以内に提出せよ」
と言われると、
例え3日でできる内容の仕事も
1週間に膨れ上がる。
と言う言葉もあります。
F1のピットイン作業員に対し、
ピットインの時間を短縮せよ
との使命を与えても上手くいきませんでした。
しかし、
作業を「スムース」にできる環境を整えよ
と指示した場合は結果的に時間短縮に繋がった
と言う話もあります。
「人生の目標」とだけ聞くと
その言葉の響きは
どこかポジティブな印象を人に与えます。
目標を見据えれば、
さもやる気が高まる様にも思えますが、
それは果たしてそうでしょうか。
その人生の目標が、
破滅のゴールへ導くものでないよう、
今一度、見直しの時が来ています。
おわりに:
高尚な目標を達成することや、
愚直な努力を続けること
はさもポジティブで、
成功には欠かせないものに見えます。
あながちそれは間違ってもいないし、
ポジティビティを発揮し
実際の成功を掴んだ人もいます。
しかしながら本書では、
ポジティブ思考を過大視しすぎている。
ことへ警鐘を鳴らし、
ネガティビティに対する
過小評価を改めようという内容です。
ポジティブにせよ
ネガティブにせよ、
これらはあくまで「スキル」であることから、
道具箱から好きな道具を取り出すように、
必要な時、必要なスキルを使えば良い。
と著者はまとめています。
スキルを発動するためには、
そのための知識が当然ながら必要です。
本ブログが、
読者様の道具箱の道具を
一つ増やすお手伝いができた。
と期待を込めながら、
私も今回は筆を置こうと思います。
大樋町
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