はじめに:
ミニマリスト。ミニマリズム。最小限主義。
今ではミニマリストという言葉も随分と
当たり前の言葉になってきたようです。
彼らが口をそろえてすすめる本が
今回ご紹介の
ぼくたちに、もうモノは必要ない。
です。
どんな良いことがあるのか?
それってそもそも幸せか?
など、まずミニマリストとはなんぞや?
が詰まった本です。
ミニマリストを知りたい人は、
まず本書を手にとってみてはいかがでしょうか?
そんな
ミニマリスト、ミニマリストを目指す人のバイブル
から学んだことをアウトプットします。
今少し、本ブログにお付き合いください。
学んだこと:
なぜ現代にミニマリストなのか?→理由は3つ
情報が多すぎる
・ 人の脳は5万年前からアップグレードされていない。
・ 農業が始まったのでさえ1万年前。
・ 農業より以前の生活とは「狩猟採集」の時代であった。
・ 人間は狩猟採集時代にマッチしている脳を現代でも使っている。
・ 当然、脳は常に情報過多の状態に。
・ パソコンでいう画面がフリーズ状態で画面にぐるぐるマークの状態。
・ 脳は1日で6万回、思考していると言われるが、
その思考の内、昨日と同じことが95%で、
ネガティブなことが80%と言われている。
・ ただでさえフリーズ状態の脳で
「昨日とは違うこと」、「ポジティブなこと」を思考するためには、
なんとか情報をシンプルにする他無い。
物を減らすためのモノが充実している
・ 幸いにして、現代では「物を少なくするためのモノ」が多い。
・ スキャナーを使えば写真や説明書をデジタル化できる。
・ スマホがあれば大抵のことはできる。
・ シェアリングやサブスクが生まれ、所有の必要性が少なくなった。
東日本大震災で物が凶器と化す現実を知る
・ 地震大国日本において部屋に物が多いのは致命的。命に関わる。
・ 元から物が少なければ「失う絶望感」も少ない。
・ 震災で失ったものの中で一番惜しまれるのは実は「思い出のもの」
・ 写真はさっさとデジタル化した方が後の後悔は圧倒的に少ない。
・ 物も情報である。画像という情報に変換すれば捨てられる。
よって「ミニマリストが必要」。
どうやって捨てるか?:私の抜粋テクニック
『捨てる』は技術であり性格ではない
物を捨てられないのは、
自分が
物持ちがいい、ズボラな性格だから
等と思われがちですが、
著者に言わせると、
捨てられないのは、
捨てる技術が「まだ未熟であるだけ」
との事。
最初からフランス語や中国語が、
ペラペラな人はいない様に、
捨てるも技術なので、
最初から綺麗さっぱり捨てられる人は少ないとの事ですので、
ひとまず私も一安心です。
物理的条件で捨てる
・複数個ある
・一年使ってない物
これら3つの条件に物理的に当てはまっているものは、
機械的に無心で捨てるのがおすすめです。
ホコリは溜まるとそうじが大変ですが、
自分にとって
必要かそうでないかのセンサー
でもあります。
長期間使っていない。
特に、一年の四季を通して使わなかったものは、
今後の人生でも登場しないはずですので捨てられます。
感情をアンテナにして捨てる
「いつか」と「かつて」は捨てる。
使ったこともない掃除機のアタッチメントや
既に何に使うかも分からないコードなど、
「いつか」必要になるかも知れないと
片付けられている物に光が当たることは無いようです。
「かつての栄光」もそうです。
元彼女からのプレゼントや
大変な思いでDIYした創作品、
ほっぽりだした趣味、
昔、人から褒められた服などなど。
今の人生に満足しているなら
それらのアイテムを持っていても問題なしですが。
もし変わりたい願望があるならやはり捨てるべき。
自分自身の偏見を過去で塗り固めてしまいます。
今に集中するためにも、
「いつか」と「かつて」は捨てる価値があります。
持たなくて良い環境にする
物を減らす上で、
『収納を捨てる』のはとても良い方法です。
例えば
本棚を先に捨ててしまえば、
床に散乱した本を
放っておくとは確かに思えません。
巣を潰せば、
虫は少しずついなくなるという作戦です。
収納ラックや棚の増設は、
物の住処になってしまうので、
必要最低限、上級者の人はほぼ無い
状態にしてしまいます。
ミニマリスト生活を目指す上では、
細かい物を徐々に減らす
という方法よりも、
棚を捨てて元を断つほうが効果的な様です。
聞くには簡単ですが、
私を含め、
収納が無いなんて、そんなのは無理だ!
という方も多いです。
コンビニ
Amazon
カフェ
を自分の部屋の様に使う。
というものです。
街やAmazonを丸ごと自分の間取りとして
取り込んでしまいます。
無駄に在庫品を抱え込む必要がなくなるし、
例えば良質なソファーは場所を取りますが、
それをスターバックスコーヒーで済ませてしまうこともできます。
消耗品の残りが少ないと分かった時点で
Amazonで注文すれば次の日か翌々日には届くはず。
便利な世の中をそのままミニマリストは
自分の部屋
として利用するのです。
捨てにくいものを捨てる
思い出の品や使っていないがお気に入りのもの
はどうやって捨てるか?
上級者たちは
卒業アルバムすらも手放すそうです
すごいと思います。
ただ、
卒業アルバムは、
同窓生なら全員持っている
ことを思い出せば、
借りたり見せてもらったりすればいいだけ。
頭を掻きむしって狂おしいほど見たい。
なんて日が来ないなら、
友人の物すらも自分の間取り化してもいいように思えます。
それでも決断は必要ですが。汗
物理的な物がなくなる事で、
記憶からも消えてしまう様では
その思い出もそこまでだっただけの事。
と著者は割り切っっています。
大事な思い出は忘れない物だし、
ふとした時に思い出す良き思い出も
オツなものです。
物に頼らなくても、
大事な思い出は無くならない。
と著者は言います。
友人からのプレゼントも捨て難い物の一つ。
せっかくもらった物を捨てるのは
自分でもはばかられるし、
送り主からもがっかりされてしまいそうです。
ただここで、
自分がプレゼントした事を逐一覚えているか?
と聞かれると全ては記憶してない様に思います。
もし自分がプレゼントした物が、
相手の負担になっているなら悲しいことです。
プレゼントをくれるような友人・知人・恋人であるなら
「手放したい」との思いもきっと理解もしてくれるはず。
プレゼントを渡し、
受け取る相手が喜んでくれた時点で
渡した物がその「送り主」へ果たす役目は完了しているのかも知れません。
ミニマリストで何が変わり、それは幸せか?
メディアに惑わされることがなくなる
東京駅開業100周年限定Suicaの発売日、
大量の人が押し寄せ混乱をきたし、
発売が中止された報道は記憶に新しい。
の例から始まる本項。
家の外に一歩でると、
街には広告が溢れています。
何とか客足を集め、お金を落としてもらおうと
各店舗必死というわけです。
1万5千枚限定の記念Suicaも、
そんなマーケティングの一つだったのでしょう。
ささるマーケティングは街にたくさんあります。
かっこいい服、
よりスリムになるにはどうすればいいか、
快適な家はどうか、
より良い学校はここだ、
いつかくる危機に備えましょう。
などなど。
目が回ってしまいます。
ミニマリストを始めると、
「必要」と「欲しい」の区別がつく
様になるので、広告に対しても強くなると言います。
限定Suicaを冷静に見れば、
確かにデザインは素晴らしいものの、
限定Suicaなら壊れにくいであるとか
10%電車賃が安くなる
といった機能は一切ありませんでした。
機能は通常のSuicaと全く同じものです。
ほとんどの人にとって、
限定Suicaは「欲しい物」であって、
「必要な物」ではなかったのではないか。
著者は喝破します。
自由が手に入る
自分が月にこれだけの生活費で生きていける。
と最小限の出費を把握することは、
そのまま生きやすさに繋がるとのこと。
著者の佐々木さんは、
東京暮らしでも「月に10万円」あれば
楽しく、なんの不自由もなく暮らせるそうです。
引っ越しという点でも
ミニマリストはとても有利です。
著者の場合
引っ越しの日の朝に、
ヨーイドンでゼロから始めても、
1時間半くらいで引っ越しできたそうです。
移動距離は短かったとはいえ、
とんでもない早さです。
2040年には空き家率は
40%にも達すると見込まれています。
将来、この日本において
地震と日々の生活とを切り離す事は出来ません。
35年ローンを組んで家を買い、
定住を選ぶ事は、
意外にもリスクが高い事なのかも知れません。
ミニマリストで幸せに「なれる」か
ポジティブ心理学の世界において、
人の「幸福」を占める割合は、
遺伝が50%、環境が10%、行動が40%
と言われているそうです。
「遺伝が50%」とは、
生まれつきの容姿が良いであるとか、
運動の才能が秀でているとか、
生まれついた家が裕福で人より物を持っている。
といった事ではありません。
人には一人ひとり「幸せの基準」が決まっている
ということです。
些細なことでも
幸福感を感じる事ができる人がいるかと思えば、
溢れるほどの資産を持っていても、
満足できない人もいるのです。
どちらにせよ、これらは遺伝ですので、
自分ではどうしようもないことです。
次に幸福の内「環境が10%」について。
人は豪邸でも、
カリフォルニアの気候でも
四畳半の部屋でも
極寒の世界でも、
すぐに順応してしまい、
住む世界の環境に慣れるそうです。
これは、どんなに不幸なことが起きようと、
慣れてしまう「人のたくましさ」
に繋がるとても良い話なのですが、
ことミニマリズムから考えてみると、
人はその場の環境にすぐに慣れ、
その環境によって左右される幸福自体も
たったの10%であるなら、
部屋に物が多かろうが少なかろうが、
関係ないじゃないか、
ミニマリストである必要はあるのか?
と結論づけてしまいそうです。
ここで最後の「行動40%」の話に繋がります。
幸福に環境があまり関係ないのではなく、
環境をミニマムに整えることで、
行動が変わるからこそ、
ミニマリストは幸福を「感じる」
と本書にはあります。
環境の影響は10%でも、
最小限という環境が
「行動」に与えるインパクトは強く、
環境に続く「行動」こそがミニマリストの真髄です。
先に述べたとおり、
物欲や広告にも心を奪われることなく、
ただただ欲しい物に群がるのではなく、
自分に必要なことに集中する。
幸福に40%も影響する「行動」を
大いに謳歌しているのはミニマリストたちなのです。
幸福感の50%は遺伝で変えようがないのに対し、
残りの半分は自分で何とかできる。
と考えると、ミニマリズムも悪くはありません。
90%が遺伝によるもの。と言われたなら
もうどうしようも無い気がします。
反対に、90%が行動だ。
と言われても気後れしてしまいそう。
この40から50%という数字は
どこか心地よく取り組める数字に
私にも聞こえるのです。
おわりに:
ミニマリストはあくまで序章。
どのミニマリストも語るこの言葉は
それがなければ
物を捨てた後に残るのは
虚無感だけになってしまうことの注意
でもあります。
一方で、ミニマリズムの末、
何もなくなった部屋は、
自分がやりたいことを浮き彫りにしてくれます。
人生でやりた遂げたい目標を追う姿がそこにあるから、
私にはミニマリスト達が輝いて見えるのかも知れません。
大樋町
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