第193回:「集団の思い込みを打ち砕く技術」から学ぶ

読んだ本

はじめに:

会議に出ても発言するのは、
課長お気に入りの先輩と、
リスク許容度が高い古参の社員だけ。
他のメンバーは、
忙しく資料をめくるのみで
発言は一切なし。
誰しも見た事のある光景ではないでしょうか。

集団の中で、
多数派に対抗する意見を
積極的に出せる人は少ないはずです。

それもそのはず。
私たちは小さな頃から、
それを本能で理解し、
大人からも学ぼうとします。

1歳7ヶ月の赤ちゃんでも、
たくさんのプレゼントを前にすると
大人の顔色をうかがい、
大人の望んだ選択を取ろうとするそうです。

本書の言う、
集団が生み出す
「集合的幻想」
とは何か?

集団の総意をひとり合点し、
自分の指針として取り込んでしまえば、
その集団の手先になり、
自分の思うような人生は歩めません。

内心は「おかしい」と感じているのに、
他の人間は許容しているなら、
自分も我慢せねば。
と間違った推定により発生するのが、
「集合的幻想」です。
対策する手段は果たしてあるのでしょうか。
学んだ事をアウトプットします。

学んだこと:

人は同調する:「なぜ」を使って解決せよ

米国での腎臓移植を待つ患者は、
約10万人に上ります。
対してドナー登録者数は半分以下の
約4万人程度。

しかし、
登録された腎臓は
貴重なものであるにも関わらず、
5個に1個は廃棄されてしまう
という事実をご存知でしょうか。
待ちに待った腎臓移植を、
先送りにする理由などあるのでしょうか。
管理人も驚いた真事実です。

アメリカでは
ドナーから移植が必要な患者まで
腎臓が届く方法に
「順番」制度を取っています。

適合の可能性などから、
待機者リストへの登録がなされ
その優先度が高い順から
腎臓が提供されていきます。

最初に腎臓の提供が拒絶されると、
その次の登録者に選択権が移るわけですが、
順番が回ってきた患者は、
限られた情報と短い時間
の中での判断を余儀なくされます。

しかも、
自分に移植されるのは
「一度誰かが断ったいわくつきの腎臓」
ということになります。

少しでも早く腎臓は欲しい。
でもそれが、
「たらい回し」にされた臓器なら
あなたは自分の体内への移植を
喜んで受け入れることができるでしょうか。
私には無理な気がします。

19人が移植拒否した腎臓を
20番目の自分が受け入れられるとは
到底思えません。
繰り返される事実に同調してしまい、
人は正確な判断が下せなくなるのです。

事実、
何の問題もない腎臓の10%が、
廃棄を余儀なくされていたそうです。

事例は他にもあります。
2010年8月、
乗務員を含む20名が乗った旅客機が
墜落し、19名がこの世を去りました。
原因は何だったのか?

1人の客室乗務員が、
機内後部で「ワニ」を発見したのです。
そこになぜワニがいたのかは
脇に置いておいて。

パニックに陥ったその客室乗務員は
慌てた様子で操縦室に逃げ込みました。
それを見ていた1人の乗客は、
ただ事ではない。
とばかりに後に続きました。

あとは数珠つなぎに、
乗客全員が飛行機の全部に集まったことにより
機体はバランスを保てず墜落しました。

たった1人の生き残った乗客からの聴取により、
乗客全員が
ワニに気づいていたわけではない
事が判明しました。

操縦室に逃げ込んだ客室乗務員を真似したのは
良いところ2、3人で、
あとの人たちは、
周りの行動を真似しただけだっただったのです。

これらは同調が招く、
ネガティブな結果の例です。

人間は、こと同調に関しては
バイアスも持っています。
例えば「名声バイアス」。
自分が尊敬する人物や、
好意を抱いている人物からの
評価が高いものは、
ただそれだけで価値があるものだ。
と思い込んでしまいます。
名声バイアスも同調の一種であり、
真実を覆い隠してしまう可能性があります。

これらを解決するにはどうしたらいいか?
著者は驚くほどシンプルな方法で
解決の糸口を見つけることができる。
と説明しています。

同調への対抗策、
それは「なぜ」と問いかけることです。

なぜこの腎臓に評価は低いのか、
なぜ皆んなは操縦室に逃げ込んだのか、
お金持ちが持ってきたというだけで
このワインは美味しいと言えるのか?

自分の考えた正しいとは限りません。
しかし
判断の無いところにもまた
真実は見つけにくいでしょう。

「なぜ」を使えば、
価値のない流行に流されたり、
問題のない腎臓移植のチャンスを
逃すこともなくなるでしょう」。

所属しているものからの圧力:複数のグループに所属せよ

個人対個人の同調もさることながら、
「集団内」における同調も、
相当に強力な効果を発揮します。

目の前の現実が、
明らかに間違っていても、
その間違いすら覆ってしまうほどです。

有名な同調実験があります。
10人のグループ内で、
「簡単な問題」
を順番に回答していきます。

例えば
長い棒はA、B、Cの内どれですか?
といった、
子供でも間違えようのない問題です。

被験者は最後に回答するのですが、
先に回答する他の9人は
「明らかな間違い」を選択し続けます。

一体どんなからくりなのか?
ご存知の通り、
この実験の被験者はたった1人で、
最後に回答する者のみが被験者です。
後の9人は全て実験者側が雇ったサクラです。

この事実を知らない被験者は、
明らかに間違っている選択肢を
自分だけが選んでいない。
という事実に動揺し始めます。

同じ実験を繰り返すと
最終的には6割の被験者は、
集団に影響され、
明らかな答えを選択するよう、
同調してしまいます。

この実験を既知の人は多いです。
しかし当時の実験では、
結果、
同調が生まれること
は判明していたものの、
実験者が、
周りに合わせるよう、
自分が意図的に嘘を言っていたのか、
実際に現実が歪んで見えたのか、
は、分かりませんでした。

しかし、
現代に置いて、
fMRIという脳内をスキャンできる医療機材
を用いて同実験を行った結果、
なんと、
同調した人間は
現実が歪んで見えている
こともあると判明したのです。

実際には、
実際には一番長い棒が
Aの選択肢だったとしても、
周りがBだと回答すれば、
Bが長く見えてしまうほど、
集団同調の効果は強力的なのです。

社会的規範の罠

脳は効率重視の器官です。
面倒くさいことは大嫌いで、
それは脳が
「大喰らい」
であることに由来します。

脳内に座する、
拳2個分ほどの大きさの記憶器官では、
人間の身体全体の、
約2割ものカロリーを消費します。

外国語を話す際、
1時間テレビを見ている時よりも、
100キロカロリーも多く
エネルギーを消費するとも言われます。

そこで脳は規範に頼ろうとします。
道路に出れば日本なら左を通行します。
外食時には箸が用意されていれば
それを使い、手で食べたりはしません。
トイレに行けば手を洗い、
公共の場で、
蛇口に直接口をつけて飲むこともしません。

いわゆる社会規範は、
一度体験、憶えてさえしまえば、
もう一度その物事に出会った際、
一から考え判断する手間を
一気に省く手助けをしれくれるのです。

しかし、
社会規範は、
判断を伴わないからこそ、
社会的幻想を生み出してしまう。
と著者は指摘、注意を促しています。

社会規範は強力です。
一度浸透した文化や習慣は、
おいそれとは変わりません。

16世紀のスペインでは、
トマトは禁忌の食べ物だったと言います。

インカ帝国からもたらされた当初、
見た目にも華やかなで、
味も好まれたトマトを貴族はこぞって
食卓に運びましたが、
そのトマトを食べて体調を崩す貴族が
後を立たず、
トマトが原因で死亡したケースが出た頃には、
貴族と言わずスペイン国中において、
その後何世紀にもわたりトマトは
禁忌の食べ物として扱われました。

原因は当然ながらトマトには無く、
当時使われていた
ピューター製の皿にありました。

トマトの酸性の成分が、
ピューター製の皿の「なまり」を溶かし、
それを摂取した者が、
体調を崩していたのですが、
当時の科学では真実に辿りつけず、
何世紀も間、
トマトは死をもたらす禁忌の野菜だったのです。

これだけの長い期間、
禁忌をいい渡されると、
トマトが食べても問題ない。
と真実が判明しても、
容易には受け入れる事ができなかった
当時のスペイン人に納得も行きます。
規範を国中でやり直そうと思っても、
そう簡単にはいかないのです。

SNSによる社会規範

さらにさらに。
現代人が集団と聞いて、
まず思い浮かべるものがまだあります。

そう、
SNSに代表されるネットの世界です。

人間の脳は、
そう簡単には進化しません。
たかだか一万年程度では、
脳はまだ、
膨大な量に増えた情報を、
処理し切れるサイズに至っていない。
というのか科学のファイナルアンサーです。
600万年間、
狩猟と採集で生活してきた人間にとって、
スマホ上のデータを見ることは、
脳がパンクしている状態
を作り出しているのです。

脳が半分バグっている状態で、
欲しい情報を検索しようとしても、
脳はそれを見つけられません。

何かを知ろうとネットを探る時、
ネットもまたあなたを覗いています。

ネットサーフィンは、
レストランでいう所の
ビュッフェではなく、
コース料理だ。
という意見があります。

自分が検索し、
自分が求めた解答を、
自分で得ることができた。
と勘違いする人も多いです。

自分が解答だと思っていたものは、
高機能なアルゴリズムが割り出した、
それらしい情報でしかない。
と著者は留意を促しています。

自分に知識や自信がない時、
(※だからこそ調べるのですが)
いかにもな情報と出会うと、
客観的に判断した情報ではなく、
自分の意見の同意者を見つける
という調査結果があります。

例えそれが答えであっても、
知りたいくない情報は遠ざけ
自分が欲しい情報だけを寄り集めてしまう。
人間は不都合なものには
蓋をしたがる生き物というものの様です。

しかも、
ネットはいかなる情報にも
繋がる事ができるため、
個人の意見がさも全体の意見
として取られがちです。

Twitterユーザーの1割が、
ツイートの8割を支配している
という事実をご存知でしょうか。

Twitterを通して意見を聞く事は、
さも大多数の人間を相手にしている様に見えます。
しかしその実、
一部の人間とその人に煽られた人達の意見でしかなく、
SNSを通し、
自分の解答を探す行為は、
2重の意味で危険な事だったのです。

ではどうすればいいのでしょうか?
集団の意見にのまれず、
正しい意見を持ち、
正しい解答に辿り着く確率を上げるには
どうしたらいいのでしょうか?

方法の一つは、
『複数のコミュニティを持つ』
ことです。
豊富な人間関係を持つ事で、
視野を広げるのです。

人は何かしらの集団に属するものですが、
限られた集団内に篭ることは避け、
複数の集団に身を置き、
複数の社会規範を見てみましょう。

家と会社の往復だけで毎日が終わるなら、
たまに友人に連絡してみるのも良い手段です。

何か趣味のグループに属してみたり、
ボランティアグループに参加してみたり、
色々な人の色々な意見に揉まれることで、
自分の視野を広げる事ができ、
集団の幻想から解放されて、
人の意見は一つでは無い
という事が肌で分かります。

誰かのほんの一言で
自分が勝手に思い込んでいた意見が
集団的幻想だったと気付かされるかもしれません。

1人で出す答えには限りがあります。
自分が属するグループ内での
意見を参考にすれば、
答えのパターンは無限に広がります。

また、
もう一つの解決策には、
『自信を持てるように行動する』
というものもあり、
集団的幻想に対する良い抑止力になります。

先に見た通り、
自分に自信がないと、
反対意見を受け止める事ができず、
何かを調べるにしても、
「自分に同意してくれる」意見
が目につきそれを信じてしまいがちです。

目標を達成したり、
運動習慣を何年も続けたりと、
自分に自信を持てるよう努力する事は、
周りに流されにくくなる
というメリットもあったのです。

知りたい事を調べる時には、
『知りたい答え』と
『真実の答え』に誤差が無いかを
客観視する事はもちろん、
現状の自分を否定する様な意見
に出会っても、
それを受け止められるだけの度量を
身につける事も忘れてはなりません。

おわりに:

集団の思い込みを打破するノウハウ、
いかがだったでしょうか。

一人で悩み、一人で答えを出すより、
周りに耳を傾けたり、
仲間に話を聞くのも時には必要なようです。

それには
周りに流されない自信
を身につけることも肝要だと学びました。

人間は元々は、
社会性を尊重する動物であり、
そのこと自体は悪いことでもなく、
社会性に富んだからこそ、
生存競争に勝ってきました。

本能がそうさせる同調に抗え、
とはどうにも武が悪そうですが、
集団的幻想は一度亀裂が入ると脆い
とも著者は説明しています。
1人1人が集団的幻想を打破していけば、
いずれ社会をも変化させる事ができるとも。

多数派に流されない強さが、
今求められています。

大樋町

大樋町

初めまして。
大樋町と申します。
「おおひまち」と読みます。
北陸地方住む、アラフォーの読書愛好家です。
日頃は通訳などを生業としております。
良い本は心の友。
私の友人たち(愛読書)から学んだことをアウトプットする場としてブログを書いております。
毎週、月曜日にブログを更新中。(少ないw)
ありがたい事に、
読者様が増えてきたから身を引き締めねばw
目指せ実用書知識のウィキペディア!(暴言)

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